So-net無料ブログ作成
検索選択

本物の英雄 ディディエ・ドログバ [サッカーW杯]

サッカーW杯ブラジル大会 日本初戦 対コートジボワール戦

前半のリードを活かせず負けてしまった日本チーム[バッド(下向き矢印)]

後半のわずか2分間で2点の失点はかなり衝撃でしたが

この逆転劇の立役者として注目を集めているのが、

後半途中から出場したドログバ選手。

やはり決める時に決める事が出来る人は、その持つエピソードも光っていますね[ぴかぴか(新しい)]

image ドログバ.jpg


<コートジボワールで 神とも英雄とも呼ばれているドログバ選手>

彼が幼少の頃、コートジボワールは独立後の混乱の中、

各地で軍人たちが武装蜂起して政府を攻撃
南北に分かれ内戦状態でした。

裕福な家庭に生まれた彼は、父親のエリート教育のもと5歳の時にフランスに渡り、
サッカー選手であった叔父に育てられます。

そのため彼は、フランスコートジボワール
2つの国籍を持っています。

18歳まではフランスのチームに所属、その後プロに転向しチェルシーに所属。

その後幾つかのチームでプレーしヨーロッパでも頭角を現した彼は、

そのままフランスの代表としてW杯に出場する選択肢もあったのですが、

祖国コートジボワールの代表として出場することを選びます。

当時はまだサッカー弱小国だった祖国のチームは

いろんな民族が集まった状態ながら、ドログバの尽力の甲斐あって

実力をつけW杯出場権を得るまでに成長したのです。


そのころ国内は未だ内戦状態。
何度か和平交渉が試みられるも成果が出ず、
反乱軍の武装解除は進まず、
2005年10月に予定されていた大統領・議会選挙も延期されていました。


2005年、W杯出場権を獲得したドログバは、チームメイトと共に
試合後のロッカルームカメラの前でひざまづき、
国民に訴えました。

「私達は共通の目的に向かって、
様々な民族が共存してプレー出来ることを証明しました。
人々は団結できます。
どうかお願いです。
武器を捨てて、選挙をしましょう」

そう言って、団結と武装解除を訴え、
その様子に心動かされた国民は内戦を一時停止。

国を挙げて代表チームを応援し、
民族の壁を破り心がひとつになっていきます。

更に彼は、それまで国際試合を開催したことが無かった
北部での開催を約束し、実行。
その試合でもコートジボワールを勝利に導き、
内戦終結への大きな契機となりました。

その後も、2012年には「ドログバ基金」を設立し、
病院の建設や恵まれない子どもたちへの援助などを行っているそうです。


サッカー選手としてのみならず、人間としても偉大な人ですね



コートジボワール・・・フランス語象牙海岸の意
アフリカ西部、ギニア湾北岸に面する共和国。
15世紀にこの海岸から象牙が多く積みだされていたことから、こう呼ばれるようになった。
1960年フランス植民地から独立。
コーヒー・カカオを生産する。主要言語はフランス語。
正称 コートジボワール共和国



スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。